音楽バカ×スポーツバカ≒Jazzy Sport!? [小林雅也]
■過去記事
・知る人ぞ知る、レコードショップ「Jazzy Sport」
http://blog.so-net.ne.jp/dir_man/2006-06-19
とにかく、私にはDJなるものの生態がまったくわからない。
ターンテーブルは押入れの奥にしまわれたまま、みたいななんちゃってDJはいたが。
そもそもDJになろう、というきっかけはなんだったのだろう?
「音楽に携わるという意味では、4歳のときからはじめたクラシックピアノですかね。父親に“ピアノを買ってくれ”と土下座したらしいですよ。『エリーゼのために』がどうしても弾きたかったみたいです。でも、あれって簡単じゃないですか。あっという間に弾けるようになっちゃって」
などと、かるーくのたまっておりますが、私など、5年もピアノを習い続けて、最後の発表会の曲が『カブトムシが兄弟で』という誰も知らない曲でしたぞ! その時点で音楽的才能に圧倒的な差を感じる(いや、人生そのものか?)。
そんなわけで、小学生前半でクラシックピアノにはけっこう満足してしまい、小学4年生でテニスを始める。「たいしたことないんですけど」というが、聞いてみれば、神奈川県ベスト8まで残るという腕前。……あなたの「たいしたこと」の基準って一体何なんですか?
クラシックピアノに満足したといっても、ピアノは続けていた。ただクラシックからニューミュージック系へと傾倒していった。スポーツも並行して続けていく。中学でテニスには満足して、高校・大学ではバスケットを選ぶ。
「Jazzy Sport」は “音楽とスポーツの融合”がコンセプトだ。
「そのコンセプトは、自分が単にスポーツがばかみたいに好きだからなんですよ」と小林さんはいう。
既に「Jazzy Sport」の素地は小学生時代にできあがっていた。それが今までずっと途切れなく続いているのだ。
では音楽への興味が、「DJ」という形に結びついていくきっかけはなんだったのか。
それは、中学生の頃、両親が好きで聞いていたジャズに由来する。当時小林さんは、単にファッション感覚的でヒップホップを聞いていたという。
「でも、よく聞いてると、ジャズの一瞬の音を録音して、―それをサンプリングって言うんですけど―、例えばイントロのおいしい部分を何度も繰り返すことによって、まったく違う曲をつくりあげている。こんなところにジャズの要素が隠れている、ヒップホップも意外と音楽的なんだな、と気づいてからは、ソウル、ファンク、レゲエ、ラテンなどのルーツ・ミュージック、つまり“音楽の歴史をさかのぼったところにある音楽”に奥深さを感じて、CDとかレコードとか買いあさりましたね」
今あるレコードは1万枚以上だ。
そして大学。
彼は「岩手」を選んだ。
なぜ岩手なんだ???
「自然が大好きだったというのはありますね。あと、その頃、自分のことをよくわかり始めてたんで、このまま東京の大学で適当に遊んだら、たいした人間になれないな、と思って」。
器のでかい人は違うな、10代で自分の人生を悟るんだ……という感想はさておき。
大学に入ってすぐ、盛岡のクラブでDJとして音楽活動を始める。4年間同じ店に勤め、東京や外国からアーティストを呼んでイベントを開催するまでのキャリアを身につける。
ここでも常に音楽とスポーツは同時進行だ。ウインタースポーツが好きだったというのも、
岩手の大学を選んだ理由のひとつ。
冬場は「バックカントリースキー」にはまるという。これ、リフトで上ったその先まで山を登り、新雪をすべり降りるというもので、スキー1級レベル(←余裕でスキーのインストラクターになれるくらいのレベルです)の高度な技術がないと、とてもできないスポーツだ。
「級は持ってないですけど、たぶん1級ぐらいのテクニックはあると思います」とさらりと言ってのける。何でも極めないと気がすまないタイプらしい。
“天は二物を与えず”というが、そんなの絶対うそだぁぁぁ!!!
その類まれなるセンスと能力が、どの花開くのかは、次回紹介しよう。
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