トップクラスの音楽関係者が「Jazzy Sport」に集結 [小林雅也]
■過去記事
・知る人ぞ知る、レコードショップ「Jazzy Sport」
http://blog.so-net.ne.jp/dir_man/2006-06-19
・音楽バカ×スポーツバカ≒Jazzy Sport!?
http://blog.so-net.ne.jp/dir_man/2006-06-21
就職にあたっては、盛岡でアルバイトをしていた時代に培った人脈が役立った。
「でも残念ながら、メジャーのレコード会社で“いい音楽つくってるな”と思える会社がなかったんです。それで“ここしかない”と思って」
小林さんが唯一興味のあったのは「ファイルレコード」という会社。この会社、インディーズではあるが、スチャダラパーの最初のアルバムを出したり、藤原ヒロシ、高木完などの日本のクラブ文化を最初につくった人たちが活動していた、当時“かなりとんがってた”レコード会社なのだ。リップスライムやゴスペラーズ、ライムスターもメジャーになる前はこの会社に所属していた。
ハウスものやクラブものをやっている人にとっては日本で唯一の登竜門的な会社で、かなりコアな音楽をつくっていた。
ただ、3年勤める間に、自分のやりたい音楽とは若干違う点が出てきた。それがストレスとなり、同じ会社の先輩と話したところ、同じストレスを抱えていることがわかった。
「それで、“独立しようか”っていう話になったんです。これが、Jazzy Sportというプロダクションの立ち上げのきっかけ。最初は店もなく、アーティストの制作の手伝いとかマネージメントとかをしてました。それで、『DJ-MITSU THE BEATS(ミツ・ザ・ビーツ)』というアーティストの作品をてがけたんです」
NEW AWAKENING
この作品が海外で評判となり、世界的な注目を集める。今は日本に逆輸入される形で、ジリジリと人気が上がっているという。
その作品を手がけたことで、プロダクションとして注目されるようになった。
当時、渋谷のレコードショップなどは、どんどん商業的に大きなレベルになり始めていた。「売れるものだけを売る」というスタンスになっていくなかで、トップクラスのバイヤーや店長たちなどのキーパーソンたちも“これでは本当にいい音楽を売ることができない”というストレスを感じ、“レコードを通して、音楽の本当のよさを伝えたい”と思っていたという。
そこで、それを伝えられるレコードショップを作ろうとはじめたのが「Jazzy Sport」のショップである。渋谷のレコード業界において、日本トップクラスの人たちがこぞって会社をやめ、「Jazzy Sport」に集結した。それはいわば、レコード業界の「革命」であった。
http://www.jazzysport.com/
ショップと並行してさまざまなアーティストの制作を手がけ、大手のレコード会社からも“おもしろいプロダクションだ”と注目を集めるようになる。
もちろん、小林さん自身も、DJとしての活動や、作品づくりをしていた。
そうしたなかで、小林さんがDJをつとめていた伝説的な青山のクラブ『Mix』のメンバーでCDを出さないかとソニー・ミュージックから声がかかる。
それが昨年5月に発売された『breakthrough』というアルバムだ。
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=KSCL000000828
この作品がまた評判を呼び、プロダクションも有名になっていった。
小林さんの略歴はよくわかった。ただ、小林さんの言う“いい音楽”、“本物の音楽”とはいかなるものなのか。いよいよ次回はその真髄にせまる。
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