SSブログ
header_man.jpg

現場では、“用意スタート”“OK”“NG”を出すのみ~映画監督の快感と苦悩~ [深作健太]

自分で“用意、スタート”というようになって、“なぜオヤジがあんなに楽しそうだったかわかるようになった”と深作健太監督は言う。


「監督っていうのは、撮影現場に入ってしまえば、現場の50人以上のスタッフの空気を全部一身に背負って、“用意、スタート”と吐き出して、撮ったものに対してOKかNGをだす仕事です。
撮影部さんだったからカメラ回す、録音部さんだったら音を撮る、照明部さんだったら光を当てる、俳優さんだったら、セリフを覚えてきて、体動かして演じる、と、それぞれみんな、技を持ってやっているわけですけど、監督っていうのは基本的には、現場入ってしまったら、必要な技はほとんどないと思うんですよ」。


だが、“用意、スタート”は、凛と張り詰めた空気から、一気にすべてのスタッフに鼓動を与える一言。
その言葉を発するときの快感は、何にも代えがたいものだという。






また、監督になってみるまで全然わからなかった困難もある。
OKか、NGかのジャッジを出すことが、現場ではいちばん難しいということ、そして、その決断を一人で下さなければならない、つまり“孤独だ”ということだ。


例えば、昔は、撮影所でみんな監督になっていったので、監督もある経験を積んで、本数を撮って監督になっていく。
でも今は若手の監督が撮るチャンスはなかなかない。健太監督も、助監督作品は数多あれど、監督としては’03年の『バトル・ロワイアルⅡ【鎮魂歌】』、’05年の『同じ月を見ている』に次いで、『スケバン刑事』がまだ3本目である。


「カメラマンでもベテランの方は、100本も撮ったっていう方がきているわけです。
経験本数が常にものをいうわけじゃないですけれども、時と場合によってはスタッフの方が場数から状況を冷静に判断出来ている。こっちは、まだまだ頼りたいわけですな」。


けれども、自分のイメージをしっかり持って、自分で判断して、俳優さんの演技も、画面のいろいろなことも、全体を構想して見られているのは監督一人である。





「だから、OK、NGのジャッジをしていく監督という仕事は、俳優ともスタッフとも違う位置にいて、責任と孤独を伴うものなんです」。


“どこの監督さんでも、ほんとは孤独だと感じていると思いますよ”と健太監督は続ける。





「まだ何も知らない頃、例えば中学生の頃とか、僕は現場を見に行ってましてね。そのときはわからなかったけど、当然父親はホントは孤独なんですよ。
でも、息子が来ていること自体うれしい。だから、“OK”って言ったあとに、チラッと僕のほうを見たりする瞬間があった。
そのときに“今のさー”と僕が言うと、“えっ! なんか違うか?”って焦るんです。中学生の僕のいうことに対してです。
それぐらい監督というのは、ちょっとつっ突かれると、とたんに崩れるというようなぐらい孤独。僕が突っ込むたびに、しかられた子供のような顔をするのが、その頃は不思議でしかたなかったですけどね。これは深作欣二と中学生の息子だからじゃない。どの現場でも本当は通じることだと思います」。


欣二監督について、助監督として映画にかかわっていたときを思い出すと“ひどいことしたな”と思うときがあるという。


「助監督をやっていると、監督のいろいろテクニック、うまい面も見えるんですが、汚い面も見えてくるわけですよ。例えば、“時間のばし工作”とかね。
俳優さんがうまくいかないと、“このコップが気に食わん!”とか言い出して。僕はサード助監督で、美術担当でしたからね。違うコップを探さなきゃいけなくて。それで、現場が止まることってよくあるんですけどね。
監督である親父の気持ちとしては実は単なる演出する時間がほしいだけだった、とか。そういう裏側の事情とかも覚えていくわけでさな。
だから、その分、オヤジにがんがん突っ込んだりしたわけですよ。そのときオヤジはどんなに不安だったことだろう、と。今になって、わが身に帰ってくるという感じです」。


“でも、快感と孤独の両面がある。それが監督という仕事の難しさと、あぶなさと、楽しさでもあるんですがね”と健太監督は付け加えた。


2006-09-27 13:30  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証: 下の画像に表示されている文字を入力してください。

 

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。